2013年11月13日水曜日

5つ星・・・

2013年9月7日、長女がノートルダム広島で挙式した。
立地条件はあまり良くないが、ここの売りは白亜の大聖堂であろう。

一生に一度であろう娘の晴れ舞台、いちゃもんは付けたくはないが…、
書かねばなるまいと決意した。

まず第一点…
花嫁の母である私は、当然?留袖。
ヘアーメイク・メイク・着付を予約していた。
「当日は何時に行けばいいのですか?」との問いに、
「14時までにお越しください」とスタッフ。
式は16時から、披露宴は17時開始だから間に合うのだろうと
その言葉を鵜呑みにしたの私もいけなかった。
受付は15時からで、受付をお願いした娘のお友達に
ご挨拶しなければならないのであるから、
15時前には私もお客様をお迎えする準備を整えていねかればならないのだ。
遅れるのが嫌いな性分であるから、予定では13時半には式場に着いている予定だったのだが…、
行きつけの美容院でヘアーメイクを予約していた次女の帰りが遅くなったうえに、
少し渋滞しており、14時ジャストの到着となってしまったのだ。
(この時点で私はもうイライラモード)
慌てて、美容室に行くも少し順番待ちっぽい感じでヘアーメイクが終わったのが14時40分。
プロが着付をしてくれるのだから、20分もあれば大丈夫なのだろうと高をくくっていたのだが、
これも大きな誤算であった。
更衣室では新郎の母、私の娘にその友達が着付中。
この段階で、娘を後回しにして、花嫁の母である私の着付を優先することは可能だった筈なのだが、
焦る気持ちが優先して、私はそこまで気が回らなかった。
何度も何度も「まだか、まだか」という感じで覗くスタッフの姿が目に入りイライラに拍車がかかった。
目出度い日であるから、愚痴るまいとは思ったが、着付の方に、
「15時の受付開始前にお手伝いの方にご挨拶に行かなきゃいけないのに、
もう手遅れですよね」と言ってしまった。
(14時に着いた私がいけないのはよくわかっているがついつい)
着付が終わり、慌てて受付に行くと、幸いなことに新郎側は長蛇の列であったが、
新婦側はすでに落ち着いており、無事に?ご挨拶することができた。
(本来の予定とは大幅に遅れたけれど)

で、第二点…
私はここで当然?新婦の控室に案内をしてもらえると思っていたのだが、
両家の顔合わせが始まる時刻が迫っており、バタバタとした雰囲気のまま顔合わせ。
これがまたロビーの一角の通路を兼ねた場所で行われるのだ。
下見の時点では、他にお客様がいなければ、静かな空間であるし、
当日の挙式が1件だけであれば不具合はないであろうかと思うが、
どうも親族控室なるものがないことは、昭和人間の私としては、
マイナスであった。そのことを娘に言うと、
「そうよ、あそこでするのよ」と答えたが、
実際に当日は娘はその場には立ち合わないのだから、
この不快感というか納得がいかない気持ちはわからないかもしれない。

さてさて、第三点は・・・
披露宴に関してである。
※1テーブルに一人給仕スタッフが付くということだが、ドリンクが空になっても、
こちらから言わないと持ってこないケースが多い。
※全体的にスピーチの声が聞き取りにくい。
新婦の友人のスピーチの時は、友人が新婦に向かって話し掛けるため
マイクスタンドから外れているにも関わらず、直さない。
※ビデオ撮影スタッフが、前方にカメラ撮影している人がいても平気で割って入る。
(私の目の前にいきなりスタッフの足が出てきた)

そして、第四点・・・、
当日受付でいただいたお祝い金を、当初は新郎側が全て持ち帰ることにしていたが、
事前に(おそらく式1ヶ月前に変更)、それぞれが持ち帰ると伝えていたにも関わらず、
当日担当と名乗るスタッフが「新郎側にお預けするように伺っています」と言ってきた。
スタッフ間でちゃんと打ち合わせができていないのだ。
こういう「伝わっていないこと」はその他にも多かったと婿殿も顔をしかめていた。

第五点・・・
高台ということもあり披露宴会場から見下ろす眺めもいいが、
天候によっては実際に当日眺められるか否か問題ではある。


それでも、お客様方は、喜んで帰ってくださったようなので…、
星は1つだけあげようか…。
5つ星と名乗るなら、不測の事態での臨機応変な対処と
気配りができてからにして欲しいものだ。






















痛い字…2

【亂】

【乱】の旧字体

旧字体の方が本当に乱れているって気がするけどなぁ…。



痛い字…1

【癡】

【痴】の旧字体だそうだ。

「疑う」と「知る」って全く違う気がするけどなぁ…。



2013年4月7日日曜日

心に十思つて…

昨日の記事【それいゆ】で書いた
【特集:二人の幸福のために】の
武者小路実篤さんの
「心に十思つて、言葉に八つ位あらわすこと】です。

心に十思って…
心に十思って… posted by (C)夢宵櫻

この言葉は、男女の仲だけでに限ったことではないと思います。
親子でも友達でも
思ったことを全て口に出してしまうと、
ぶつかってしまうものではないでしょうか。

思いついたことをすぐに発してしまう前に
深呼吸してから、言葉にしようと
思った今日此の頃です。
(今更ですけどね^^;)



2013年4月6日土曜日

それいゆ

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リフォーム中の隣の伯母の家の茶箱から
それいゆ】が数十冊出てきました。
上は1957年、下は1954年AUTUMN №31の表紙です。
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50年以上も前の雑誌とは思えないくらい素敵~♪
状態はもうあまり良くないのですが、表紙絵が気に入ったのと、
中原淳一さんの絵はどれも好きですが)
内容も良かったので、この一冊を譲り受けました。

今をときめく淡路恵子さんがモデルです!
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他のコーナーの内容も現在に通じる部分が沢山あります。
特に【特集:二人の幸福のために】のコーナーは、
当時の多くの著名人が執筆されています。
それはまた後日記事にしたいと思います。

2012年11月3日土曜日

靴をお忘れなく!

昨夜、母が腹痛を訴えて生汗をかいてお手洗いで立ち上がれなくなった。

母は臍ヘルニアがあるため、これは救急車を呼ばないとと思い、119。

救急車のサイレンがすぐに聞こえてすぐに到着したのだけど…。

まずは、救急隊員の方が母にいろいろと「何時頃から痛くなった?」とか質問をする。

母は意識もあるのでそれに答える。が、実際にトイレに行く前に時計を見たわけではないからだいたいの時刻しか答えられない。

そして、私にも母の既往症、現在服用中の薬などを聞く。

これは、まだ受入先の病院が決まる前の段階である。

勿論、母のかかりつけの病院はその際に告げている。

まず、そのA病院に受け入れ要請の電話をしてもらうが、それまでにかなりの時間を要している。思えば、救急車を呼んでから時間をチェックしておくべきだったと思うけど、それどころではなかった。今思えば、Twitterに書き込んでおけばとも思うけれど、そんな余裕などなかった。最近は腕時計もしなくなったし…。

A病院には外科医が手術中で、内科医も内視鏡検査中とやらで断られた。

B病院にも同様な理由で断られて、受入可能なC病院ヘ搬送してもらえることになった。

ここでも、かなりの時間を要している。

そして、C病院へと、行き先が決まればそこは救急車、ましてや交通量の少ない時間帯であるから10分もかからなかったと思う。

そして、到着したC病院で母が処置される間に救急外来の待合室に案内してくれたのは、ホストクラブのホストかと思うような茶髪の男性だった!

大丈夫か?、この病院と思ったが、ここしか受入られないのだから仕方ない。

待合室に案内されるまでに、当直医(おそらく研修医)が発した言葉は、「あちらでお待ちください」とそのホスト君の方を指さしただけである。

それから1時間あまり、血液検査等が行われていたようだが、待合室に聞こえるのは不安を煽る計器の電子音と医師とナースの足音だけ。

病院に到着したのはもう少しで23時という頃だったと思う。

研修医がようやく待合室に顔を覗かせて、「こちらへどうぞ」と言ったのが、24時少し前。その時研修医は「今先生に結果を見てもらっています。」と言った。

研修医より少し年配の医師がやってきたので説明があるのかと思いきや、「これから検査結果を見ますので、しばらくお待ちください。」と言う。これからかよ!って思ってしまったので、「で、しばらくってどのくらいです?」と尋ねたら、訝しげな面持ちで「2~30分です。」と。

概ねその待ち時間で再び当直医が現れ、病状説明。

「臍ヘルニアに因る腹痛ではなく腸炎だと思う。」とのこと。腸炎なら入院はない。

そこで、まだ点滴は3分の2程度残っていたのだが、外してもらい処方された整腸剤、痛み止め、吐き気止めを貰い、タクシーで帰宅したのは午前1時くらいだっただろうか。

そうそう、自宅から救急車で病院へ行く際は、靴をお忘れなく!